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お知らせ 国際交流 卒業生による国際看護活動講演会を開催しました。

  令和元年6月12日(水)に「海外で働く先輩に聞く-アフリカ・ブルキナファソにおける学校保健活動-」と題し、本学卒業生 持永 孝弘 さんによる講演会を開催しました。
  参加した学生からは、身近な存在である先輩が世界を舞台に活躍されている事実を知り、国際看護への関心と可能性が高まったといった感想が寄せられました。

アフリカ・ブルキナファソにおける学校保健活動

<上記講演会より抜粋>
 私は6年前に本学を卒業し、現在国立国際医療研究センターの救命救急センターに勤務しています。卒業後は同センターで3年ほど働いた後、JICA(国際協力機構)の海外協力ボランティアとしてアフリカ・ブルキナファソへ派遣されました。

 現地に馴染む
 最初の1、2か月の間は、とにかく顔を覚えてもらおうと、連日自己紹介を行い、自分の名前、日本人であること、看護師であること、来た目的等を飽きるくらいに挨拶しました。それによって、全部署に自分を覚えてもらいながら、同時にフランス語(現地公用語)を上達させていきました。
 また、最初はあえてマンパワーに徹することを心がけ、医療に限らず現地で働く1人として信頼関係を築いていきました。そうした活動の中で自分に協力してくれそうな人を探していきました。

問題のアセスメントと計画立案
 気づいた問題に対して、現地の人々はどう感じているのか、より優先度が高い問題は何なのか、自分の得意分野で生かせるアプローチは何かを考えました。自分が援助すべきことと現地の人が求めていることをすりあわせるために、現地の人にアンケートをとりながら、計画を策定していきました。

妊産婦への保健衛生啓発活動と評価
  私がまず考えたのは妊産婦さんに対する支援です。妊産婦さんの病院での待合時間は通常2時間程で、その待合時間を使って啓発教育をしていきました。
 啓発教育をやっていて、変わってきたなと感じたのは、経産婦さんが若年の初妊婦さんに自発的に自分の経験を話してくれるようになったこと、看護師も壁に掲示されている啓発ポスター(マラリア、栄養、低出生体重児)を使って内容を説明してくれるようになったことです。

学校保健活動と評価
 次に学校保健活動を始めました。きっかけは、子どもがぽつんと1人で病院の床に座っている姿を見かけたことです。聞いてみると、熱があって体調が悪いことを親に説明したものの、理解を得られずにそのまま放っておかれてしまったようでした。その姿を見て、もっと身近に助けを求めている人がいるのではないかと感じました。

①保健室の立ち上げ
 実際に学校へいってみると、環境こそ悪いものの、子どもたちはすごく積極的に授業に参加していて、日本の学校とのモチベーションの違いを感じました。同時に子どもたちが潜在的に持っているパワーを感じました。
 活動のコンセプトは、「外部からの力ではなく、現地の人々が自らの能力を持って、自発的に行動していくようにする」でしたので、こうした子どもたちのパワーを利用できないかと考えました。まず「学校保健って何?」という認識だったので、イメージを持ちやすくするために保健室を作ることにしました。

 保健室では、子どもたちの怪我の一次処置やマラリアやデング熱などの感染症に対する保健指導はもちろんのこと、怪我の有無に関係なく、子ども同士で勉強を教えあえるようなスペースも設けました。それは、気軽に来られて、親しみやすい空間を目指したからです。



 活動先の学校である程度学校保健活動に理解と協力が得られた後に、保健衛生に関するフェスティバルを開催しました。住民や村長、県教育長、行政局長、病院長、NGO等を招待して、保健室の活動を見てもらいました。
 その結果、他の組織でも取り入れていきたいという声が聞こえてきました。共感を持ってくれた関係者には積極的に話し合いの場を作り、最終的には今まで私が関係を築いてきた小学校3校をパイロット校として定め、学校保健システムを構築していくことになりました。

②学校保健システムの構築
 まずは、各校に救急箱を配置しました。救急箱は、コットンや手袋等一次処置に使えるものを揃え、補充にかかる費用は「継続性的な運用」と言う観点から、保護者会予算から捻出しました。保護者会予算も決して多くはないため、学校保健の重要性を繰り返し協議しました。JICAとしてお金を出すことはほとんど無く、住民とのパートナーシップにより、運用出来るようにしました。
 同時に救急箱の中身を正しく使える様に、公衆衛生の基礎的な研修も開催していきました。
 さらに学校保健についてまとめられた資料がほとんどないことから、現地の医局長と相談して、病気や怪我への対応、救急箱の目的と使用方法をわかりやすく記載した「学校保健マニュアル」を作成しました。

③評価と計画の再立案~継続して支援が行われるために~
 救急箱の運用を始めてから1ヶ月半後、私は救急箱の使用実績を記録したノートを校長先生たちと確認していきました。今まで保健活動を全く知らない状態から活動を始めてきたので、どこまで継続していけるのか未知数でしたが、どこの小学校でもキチンと使用実績が記録されていました。
 記録ノートからは、この学校ではマラリア患者が多い、怪我が多いといった情報がわかります。保健行政局と学校の関係性を基礎に、裏付けされたデータを元にすることで、問題に対する対処も早くなり、保健衛生に関する要望も通りやすくなりました。
 その後、NGOまではいかないもののアソシエーションを設立し、支援活動を継続的に展開できる仕組みも作りました。まだまだ課題は残っていますので、今でもFacebookを通して連絡を取り合っています。

ブルキナファソでの生活・保健衛生活動を通して
 実際の生活の中で、自分の目で見て、話して、感じることの重要さを感じました。ブルキナファソでの生活は確かに困難さもありましたが、最後には大好きになりました。人間関係が良かったこともあり、私はむしろ日本よりも暮らしやすさを感じました。何か課題があるときに一緒に解決しようとしてくれる人がいてくれたことや規則やマニュアルがない中で自らが考えて活動できること、難しさはあるものの現地の方と共に考え作り上げることの喜びを感じました。

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